20年ぶりに、日本の紙幣の顔が変わります。
日本での功績や類まれた経歴がある人物がその新紙幣の顔となります。
1万円札には、「資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一さん
5千円札には「津田塾大創始者」の津田梅子さん
千円札は「近代日本医学の父」北里柴三郎さん
いずれも過去に素晴らしい経歴を残した人物となりますが、この新紙幣の新しい顔に疑問を感じる方もいらっしゃるようです。
日本史を学んだ方であれば、今回刷新された新紙幣の顔となる人物が世間一般的にはあまり知名度が低いという批判もあります。
ただ、素晴らしい功績を上げたという事実は変わることがありませんので、この際に選ばれた方の功績や経歴などを学んでいきたいと思います。
新紙幣の顔を選ぶ基準
新元号の令和が2019年の5月から施行されることを受けて、日本国の紙幣が20年ぶりに新しくなるというニュースが有りました。
元号が令和になり、新紙幣が発行される時期は2024年ごろだと言われています。
麻生太郎財務相が発表した新紙幣の顔になる人物は、どんな功績や経歴があるのか、すぐに言える方は少ないかもしれません。
ネット上では、今回の新紙幣の刷新で新しい顔に選出された偉人の方は、「新紙幣にふさわしいのか?」という賛否両論の声がありました。
いつの時代の反対意見というものがあるものですが、新紙幣の顔を決める基準はどんなものがあるのかというと
・日本国民が世界に誇れる人物
・一般的によく知られている人物
・偽造防止の面から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物
以上の基準が新紙幣の新しい顔になるべく人物だという定義があるようです。
ただ、「一般的によく知られている人物」というのはチョット微妙なところですよね。
しかし、知らないから批判するということは良くないので、少しでも彼らの偉業を知っていきましょう。
新紙幣に選ばれた顔は誰?津田梅子さんとは
今回の新紙幣の顔に選ばれた方は、世界的にも日本の文化や医療に大きく貢献された方々です。
今回の紙幣(1万円、5千円、千円)の顔に選ばれた方は、渋沢栄一さんと、津田梅子さん、北里柴三郎さんという方々です。
ニュースでは簡単な経歴をお伝えするだけで詳しい功績などの記述があまりありませんでした。
その中でも津田梅子さんという人は、意外と知られていないのではないでしょうか?
津田梅子という人物は一体どんな功績を残したのかその経歴をまとめていきます。
津田梅子さんの功績と経歴は
生誕 1864年12月31日~1929年8月16日(64歳没)
津田梅子という人物は、津田塾大創始者として有名です。
現代では女性の活躍は世界的な活動もできるのですが、当時の日本の時代背景でさらに女性としてこれほどの功績を残した人物はあまりいないのではないでしょうか?
日本の女性の教育への大きな功績は計り知れないものです。
1864年に江戸の幕臣(将軍直属の家臣)の家に父・津田仙と母・初子の次女として誕生しました。
江戸幕府崩壊後、北海道開拓使となった父は、開拓使次官の黒田清隆が計画した女子留学生に梅子を応募しました。
当時黒田は、日本を新しくするために、女性の教育者を望んでいました。
当時は女性の働き場所も、女性の立場も弱いものでした。
1871年、6歳の津田梅子は岩倉使節団の留学生としてアメリカへ行きます。
梅子は、現地の学校で私立の女学校へ進学し、ラテン語やフランス語勉学に励みます。
その他にも、自然科学や心理学、そして芸術まで学んでいます。
1881年国から、帰国命令が出ます、しかしまだ勉強が途中だったため学業を延長して、1882年に帰国しました。
日本に戻った梅子さんには重大な問題がおこります。
日本語を忘れてしまった!
津田梅子さんは10年間留学生活を送っていたせいで日本語を話せなくなってしまったのです。
当時6歳から留学していたので生涯無いのかもしれません。
しかし、当時の伊藤博文さんと縁があって再会し、教育者としての道が開けていきます。
海外から日本へ帰国したときの津田梅子さんの日本の現状を見たときの感想は「これほどまで教育が遅れているのか!」という感情だったそうです。
女性の世界進出の先駆け的存在
海外の女性に対する社会の扱いと、日本での扱いの差に驚愕していた、津田梅子さんは津田塾大を設立するほどの影響力を持つ人物へとなりました。
当時の日本の女性への教育としては「花嫁修業」しか無く、津田梅子さんは日本の女性の立場を向上させるために鬼教師になり、教育者として活躍しています。
今でこそ日本の社会進出は当たり前という時代になりましたが、当時の日本の文化や女性が職業を選べない時代に大きな影響を与えたことは大きな功績だと言えます。
厳しすぎる教育方針に脱落者も
津田梅子さんは、海外から持ち帰った教育方法を、日本の女性へ熱心に広めていきます。
しかし、あまりの教育熱で周りからは「鬼教師」と言われていたそうです。
その厳しさは想像を絶する者で、当時の女性は脱落者もたくさんいたそうです。
それほどまでの情熱を持って、教育に力を注いだのは自分の国の女性の立場を少しでも高めたいという思いの現れなのかもしれませんね。
過去の紙幣の顔になった人物とは?
日本の紙幣は過去にどのような人物が顔となっていたのかを調べてみると、現存する紙幣として1600年代の頃から日本には紙幣という概念が生まれました。
当時の紙幣の顔は日本の天皇の顔が印刷されていました。
当時は造幣局などが無いためどのように紙幣を制作していたのか興味がわきますが多分版画のように刷っていたと思われます。
日本の天皇がお札の顔という時代を経て、日本が誇る世界的にも有名な聖徳太子さんや、伊藤博文さん、そして現代の福沢諭吉さんという歴代のお札の顔になっています。
日本の紙幣の顔になる人達のいろいろな人物の経歴を見ると日本の偉人というのはとても素晴らし功績を残されていますよね。
どうしても海外の有名な人物を注目したい気持ちがありますが、日本には本当に素晴らしい人達がこの国の基礎を作っているんだと思うと誇らしい気持ちになります。
まとめ
今回は、新紙幣の顔が20年ぶりに変わるということをまとめていきました。
渋沢栄一さん、津田梅子さん、北里柴三郎さんという日本が誇る世界的に活躍した偉人たちがどのような功績を上げて、日本や世界に影響を与えてきたのかをまとめました。
こうして過去の偉業を見ていると、並大抵の努力だけではこの結果は得られません。
人間的な器の大きさ、諦めない精神、日本人として尊敬に値する人物ばかりでした。
今回の新紙幣の顔になる方への不満などの声もありますが、この偉業を知ることで理解も深まるのではないかと期待しています。