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大谷桃子の経歴と車椅子テニス歴は?障害の原因と出身大学や学歴は?

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2020年の東京オリンピック・パラリンピックがもうすぐ開催されますよね。

 

最近ではパラリンピックのほうが個人的に面白くて人生ドラマがあってすごく興味があります。

その中でも女性のアスリートの活躍が注目される中で、今回注目する方は「大谷桃子」さんです。

 

大谷桃子さんは車椅子テニスで短期間で実力を発揮している才能のある方です。

彼女の障害の原因や勤務先、パラリンピックやテニスに対する情熱をまとめていきたいと思います。

 

大谷桃子さんの経歴と障害は

 

 

 

氏名    大谷 桃子
生年月日  1995年8月24日(24歳)2019年現在
出身    栃木県
身長 162.5cm
血液型 A型
テニス歴 11年
車いすテニス歴 1年

 

大谷さんは 西九州大学 健康福祉学部 スポーツ健康福祉学科を先行されパラリンピックの車椅子テニスに出場が期待される大谷桃子さんは現在24歳です。

 

わずか8ヶ月で車椅子テニスの実力を発揮している、才能のある方でもあります。

 

女性の車椅子プレイヤーとして頭角を表している大谷桃子さんはパラリンピックでメダルも期待できる選手です。

女子の中ではトップの速さと種類が強みで、コースと回転を組み合わせて9種類の打ち分けが出来ます。

 

笑顔が素敵で健康的な日焼けをされているのでいかにもテニスをやられている方だとわかる表情をされていますね。

しかし、その笑顔の裏には壮絶な過去がありました。

 

 

大谷桃子さんの障害はいつから?

 

もともと大谷桃子さんはテニスプレーヤーとしてかなりの実力のある選手でした。

出場する大会では優勝を何度も取り、地元では有名な選手でした。

 

小学3年生から兄の影響で始めたテニスはメキメキとその頭角を表しました。

しかし、高校卒業後に病気になり、入退院を繰り返す日々さらに薬の副作用で下半身は動かない障害者となってしまいました。

 

ふさぎ込んだ桃子さんを励ますために、父親が車椅子テニスの存在を教えたことでまたテニスに情熱を燃やす今の輝く笑顔を取り戻しました。

 

実際に自分がそのような立場になったら、これほどまでの笑顔で生きられるだろうかと感じました。どうしてそこまで笑顔で頑張れるのか?その秘密を知りたいと思い、この記事を書くことになりました。

 

知れば知るほど、魅力のあふれる女性で、本当に輝いている人だと思います。

 

車椅子テニスのルールや難しさ

 

大谷桃子さんがパラリンオリンピックで出場する可能性が高い、車椅子テニスは健常者のテニスとどのようなルールの違いがあるのでしょうか?

 

実際、大谷桃子さんがコメントされている内容と合わせてまとめていきます。

 

車椅子テニスと健常者テニスの違い

一般のテニスと車椅子テニスの違いは2バウンドで返球するということぐらいです。

 

コートの広さは一般のものと同じ広さで、通常は1回のバウンドで返球するのですが、2バウンドまで認められています。

 

しかし、車椅子テニスの難しさはその返球が大変だということです。

低い距離からテニスボールを返球するためには、自然に低い姿勢で打ち返す必要があります。

 

下半身に自由がない状態では、転倒の危険もあり、恐怖感で返球をためらう事が多いそうです。

 

更に大谷桃子さんは握力が0.5キロ程しかないためペットボトルのキャップも補助具を使用しなければ開けられないくらいの状態です。

 

テニスのラケットもテープなどで固定をしなければ、ラケットを持つことも打つことも出来ない状態です。

そんな状態にもかかわらず、多彩な返球や緩急を付けた返球をできるそうですので、頭が下がる思いです。

 

 

大谷桃子さんの魅力

 

大谷桃子さんに限らず、若くして障害者となって、葛藤や絶望を経験された方にはなぜか強い心があります。

大谷桃子さんがコメントされていた言葉に、

 

「人と比べない」

「自分の障害と向き合う」

 

以上の言葉を話していましたが、多くの人は自分の嫌な部分から逃げて、現実逃避をしたいという気持ちが強くなります。

大谷さんのような下半身が殆ど動かず、握力もほとんどない状態になったら、絶望以外の言葉が思い浮かばず、人生も悲観的に考えてしまいがちです。

 

しかし、笑顔でテニスに夢中になる姿を見るとその裏に隠された血の滲むような努力と、強い精神力に感動します。

本当に強い人というのは絶望から這い上がる人が本当に強い方だと感じました。

 

大谷桃子さんの過去の思いやコメントを最後にまとめます。

 

高校3年時には、個人ダブルスで目標としていたインターハイ出場を果たしました大谷さんは、高校卒業後に障害者となりました。

車いすを使わずには生活が満足に送れなくなってしまいました。

生活の中心だったテニスもできなくなり、目標も失って引きこもりのような生活をしていました。

そんな大谷桃子さんを救ってくれたのもテニスでした。

父の勧めで車いすテニスを体験するとすぐ夢中になり、知り合いからテニス用の車いすを譲ってもらってそれを漕ぐ毎日が始まりました。

当初は10分と漕ぎ続けられなかった体力も、今では丸1日のタフな練習もこなせるまでになりました。

ここまで来るのには多くの紆余曲折がありましたが、無駄ではなかったと今なら断言できます。自分のテニスに対する思いも確認できました。

また親や友人、コーチ、先生など多くの方の支えがあり選手として生きていく覚悟ができました。

まとめ

 

今回はパラリンピックの車椅子テニスの最有力候補の大谷桃子さんについてまとめてきました。

 

高校卒業後に病気になり、薬の副作用で体の自由を失った絶望を乗り越え、現役の選手として活躍する笑顔の素敵な女性でした。

 

まだ24歳という若さでこれほどの絶望と苦労を経験された大谷桃子さんの今後のアスリート人生にも注目するとともに、彼女の人生や考え方を今後も発信してほしいと思います。

 

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